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2009年9月15日

末国兄弟と地元仲間たちによる
「西粟倉村のもうひとつの挑戦」
"死んだ山"は多くの人々の関心によってよみがえる

末国さん
山林の再生には人々の関心が不可欠。愛情を持って気長につきあえてこれたのも故郷の仲間たちのおかげと話す末国さん。

岡山県英田(あいだ)郡西粟倉村は、国内初となる森林・林業支援の事業ファンドを創設した(株)トビムシ(東京都千代田区)の事業で全国から注目を集めているが、その数年前から同村の山林を元気にさせようと奮闘しているグループがある。

西粟倉村を故郷に持つ「矢倉兄弟」と地元の仲間たちでつくったボランティア団体「あわくら自然林を増やす北新クラブ」がそれである。
本紙の今年2月5日付の「この人」欄で、このグループの活動の中心になっている東京都新宿区で会社を経営する末国健吾さんを紹介し話題となったが、地元住民と力を合わせて"わが村の山林の再生"を目指す「西粟倉のもうひとつの挑戦」について紹介する。

「山は死んでいる」

西粟倉村は97%を森林に囲まれた山林豊かな村である。しかし、全国の多くの山と同様に、戦後の拡大造林後の手入れ不足によって山林の荒廃がどんどん広がっている。

「村の山は一見、緑にあふれて自然豊かなように見えますが、中に一歩足を踏み入れると枝打ちなどまったくされていないため日の光は地面まで届かず、動植物の姿もほとんど見られない状態です。多くの山は死んでいます」と村の山々を案内しながら末国さんは嘆く。

会の会長である福島 さんもまた、「昔は村にはたくさんの雑木(広葉樹)の山がありました。でも、今ではあんな山の突っ先まで針葉樹の木が植わっています。山からの水の量がどんどん減っていることも村人は心配しています」と当時の姿とはあまりにもかけ離れてしまった村の山を指さしながらつぶやく。

実際に、案内してもらった山はいずれも見渡す限り尾根まで杉が密生し、山の中に入ると枝打ち、間伐、除伐のされずに放置されて日中にも関わらず真っ暗で、死骸のように幹にぶらさがった赤茶けた枝が屍(しかばね)のように無残な姿で森の奥まで広がっている。
山のことをよく知らない一般の人は遠目から見た緑の世界とのギャップの大きさに自分の目を疑うほどのショックを受ける人もいる。

多くの仲間が集まり、まるで"私設森林組合"のように

「自分が生まれ育った時のような村の山の姿を少しでも取り戻したい」
そんな思いで、末国さんが8年前に購入した山もまさにそんな山のひとつだった。「まるでジャングルのように」(同氏)荒れ果てた杉の生い茂る長年、放置された山だった。

山の管理についてはまったくの素人である末国兄弟の取り組みが始まる。健吾さんをはじめ兄弟は休日など時間を見つけては、それぞれで山へと向かい、最初は残すところは杉を間伐した上で残し、伐採した場所は地面を丹念にならして、そこに山桜やケヤキ、ツツジ、メグスリノキなどの広葉樹の苗木を一本、一本と植えていった。

東京の会社で営む本業である節水システムの販売で日々出逢う人々には白いプレートを渡して、名前、住所、メッセージを書いてもらい、それを次の帰省までためておいて大切に持ち帰り、山の苗木を植林する時に、支える杭に一枚、一枚くくりつけていった。

たとえ山には直接こられなくても、人々の想いこそが荒れた山を回復するためには必要だと末国さんは考えたからだ。
そうした末国兄弟の取り組みを最初の頃は遠巻きに見ていた地元の人々も、想いに賛同し協力者は時を追って増えていった。

そして今では年に8、9回帰省する末国さんがいなくても、仲間の誰かが山を訪れて、皆で立てた計画通りにどんどん作業を進めて行くまでの関係が築かれている。

山にはトラックやパワーショベルや伐採用チェンソー、丸太搬送機、草刈り機など林業機械がそろえられ、まるで"私設森林組合"のような様相である。週末には時間を見つけて山で作業をする機械の音が鳴り響いている。

恒例の植林イベントに山も歓ぶ
植林イベント参加者
植林イベントには県外から多くの人々が訪れ西粟倉村の自然、そして人々との交流を楽しんだ。

毎年、春と夏に開催している植林イベントは年々、参加者が増え、今では県外からも多くの人が開催を待ち詫びて訪れるまでになっている。

子供たちの参加も増えているため、今年からは山の川を引き入れて池をつくりイワナを放流。子供たちは目を輝かせながら人生初のイワナ釣りに興じた。

植林活動が終わると、参観者全員が待ちに待った大量の食材を用意したバーベキューが行われる。ホルモン8キロ、うどん50玉、キムチ40キロがまたたく間に参加者の胃袋の中に消えていく光景は圧巻である。

終日、森の中に人々の笑顔と笑い声があふれる。人々が楽しく集ってくれることを山が歓ぶ声も聞こえてきそうな一日となる。

荒廃した山に試される気概と度量

イベントも恒例行事となり、コツコツ続けてきた広葉樹の植林は3500本を超えた。

そんな取り組みを長年見てきた福島会長は、「植林の苗木も、イベント費用もすべて持ち出しでやっている。あんな人はいませんよ」と話す。

末国さんも故郷の仲間全員に向けて、「こうしてやれているのも地元の仲間たちの御蔭。本当に感謝しています」
故郷の山を通じて、信頼と感謝で結ばれた両者の息はぴったりだ。

戦後、戦災や過伐で荒れ果てた山には安定した成長が見込まれる杉や桧が大量に植えられ、しかも当時は高額で取り引きされていたことから所有者をはじめ多くの人々の政策への後押しもあった。
そうした意味では、その当時の人々の「欲」と「(後年期待はずれとなったことからが引き起こされる)無関心」が今の日本の山の姿として我々の目の前に現れているのかもしれない。

しかし、他の面では敗戦直後に日本中を襲った深刻な長期雇用不安の中で、人々の日々の糧を得る仕事として植林はその役割を果たした。
当時関わった人にうかがうと、その作業は大変に過酷なものであったという。現在の豊かな社会で生まれ育った者には想像しづらいだろうが、「植林」によって生き伸び、家族を養った人々が数多くいたのである。

こうした意味では、先人の功罪を合わせて引き受ける気概と度量があるのかどうかを、日本の山という姿を借りて、現代の人々は試されているのかもしれない。

そうした意味から、西粟倉村での取り組みは非常に小さなものではあるかもしれないが、都市と地方とのつながり、兄弟、地域の人々との結びつき、自助の精神、故郷への愛と貢献など、山林を通じて、人として過ごしていく上で大切なことを考えさせてくれているように思える。
その歩みは一歩、一歩だが、着実に実を結んでいっている。
「西粟倉村のもうひとつの挑戦」は今日も続いている。