2009年7月5日
シリーズ「この人」足達利勝さん・足達林業会長・人吉素材流通センター社長
(あだち・としかつ)昭和8年生まれの75歳。杉産地の大分県上津江村(現日田市)で子どもの頃から「川流し」と呼ばれた人力による「丸太の伐採搬出」を見たり、手伝うなど山仕事一筋60年。18歳で独立、素材生産業としてピーク時には年間5万立方メートルの実績を上げる。現在は、株式会社人吉素材流通センターの社長も務める。
素材生産業一筋に60年
「素材生産業一筋にきて今年で60年になります」と足達利勝さん。「私は大分県日田郡上津江村の生まれで、11人兄弟の10男です。上津江は大分県下でも指折りの杉の産地で子供の頃はまだトラック道も馬車道もなく、木材運搬は木材を川に流して運ぶ「川流し」の方法でした。子供のころ1本の丸太の上に乗って遊ぶのが面白く、川流しの現場によく遊びに行っていました。それにアルバイト賃120円(現在1200円程度)貰えるのも楽しみでした。こうした経験から、尋常小学校高等科卒業と同時に、すんなりと今の山仕事に入りました」と、素材生産業を始めたきっかけを話す。
「当時津江村には製材所は一軒もなく、伐採した丸太は川流しで日田市や福岡方面の製材所に1年がかりで運びました。当時は俺も仕事を指揮する先頭(せんとう)になると決めて一生懸命働きました。それから3年後の18歳の時、足達伐出業を興して独立し、本格的に立木伐採、丸太搬出業を始め、朝早くから夜遅くまでよく働きました。丸太搬出は架線張り次第で生産量が大きく変わります。架線張りも人まねではなく独自で勉強し、いかに効率的に搬出できるか、常に現場の地形にあわせて架線を張り生産してきました。国有林の仕事を始めてからも営林署の設計通りではなく、効率的に考えた独自の架線張りで生産量を上げていましたから、後では自分の考えに任せて貰うようになりました」という架線張りの第一人者だ。
昭和26年に、人夫16人を連れて熊本県八代郡坂本村で初めて仕事を請負、ここでの仕事の縁で昭和39年に現在の人吉市に移住、素材生産業として、ピーク時には年間5万立方メートルもの生産実績を上げている。平成2年に有限会社足達林業を設立、同16年には代表取締役社長を長男の勝徳氏に譲り会長に就任した。
「私はどんな相手でも言うべきことは言う性分で、だれからも嫌われていますよ」と淡々と語る足達さんだが、仕事は誠実をモットーに歩んできた。従業員に対しても「飲酒運転をしたら即首だ」という厳しさの反面「やるべき事をやる人間には徹底して面倒を見る」優しさと筋を通す一徹さを持つ。業界では地域のご意見番的な存在でもある。
平成元年から5期10年間は球磨川流域林業事業協同組合の理事長職を務め、同10年には株式会社人吉素材流通センターの代表取締役に就任し現在に至る。同センターの20年度の原木取扱量8万立方メートルは熊本県下トップクラス。
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