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2009年2月5日

シリーズ「この人」末国健吾さん・北新工業株式会社社長

末国健吾さん
(すえくに・けんご)前列右。昭和18年8月7日生まれ。65歳。北新工業社長。
数人で始めた春、夏の植林イベントも今では60人を超える参加者が森に訪れ、親子連れでにぎわうようになった。本業の節水事業も環境への関心の高まりも後押しして順調。「豊かで澄み切った水を飲めるのは森の御蔭です。森への感謝が大切なんです」と森への熱い思いを語ってくれた。

「恩返しはまだ始まったばかりです」

生まれ故郷である岡山県の西粟倉村の森に恩返しを続ける男がいる。北新工業㈱社長の末国健吾さんだ。直接、森に関わる仕事をしているわけではない。本業は節水のプロフェッショナル。自ら開発して特許を持つ節水器具で、全国の企業や団体、行政などから水のマネジメントを請け負い、ほぼすべての建物で節水の実績をあげてきた。

全国各地を水を扱う仕事で訪れ、水にふれればふれるほど、いつの頃からか水を生みだしてくれる森の姿が心の中に浮かんでくるようになった。

「水は森から生まれる。水の親は森なんだ」

深まる森への思いは、いつしか緑豊かな生まれ育った故郷の森の姿につながっていった。

末国さんの生まれ故郷は、岡山県英田(あいだ)郡西粟倉村。村民約1600人の小さな村で、97%を山林が占める農業と林業を主産業とした緑あふれる村だ。

最初は、田舎にいる弟に任せて村の中に小さな山を確保した。東京を拠点に各地を飛び回る仕事の中、時間を作っては帰省し、駅に着くとその足で生家に向かうのも後回しで森に直行した。長年、手入れされず、荒れ放題でジャングルのようになった山に分け入り、木を伐り、道をつくり、搬出しながら、下草刈り、枝打ちをコツコツと続けていった。
山の手入れといっても所詮は山のことについては素人である。

「すべてが試行錯誤の連続だった」

最初に植林を始めたのは、早い冬が訪れ、厳しい寒さが肌身にしみる平成14年11月のことだった。苗木を買ってきて、かじかむ指を温めながら、弟とふたりでの植林作業を行った。杉を伐採した跡地には、山桜やツツジ、ケヤキ、メグスリの木など落葉樹の苗木を植えていった。ここで頭を痛めたのが「食害」である。植林をし、次に山を訪れてみると、植えた苗木の芽がすべて鹿に食べられていたのだ。
次に植林した苗木もまたすべて食べられる。ある時などは、少し離れた場所から末国さんが植え終わるのを黒い瞳をこらしてじっとこちらを見つめながら鹿が待っていることもあった。

鹿が届かない高さになるまで里で一度育ててから植えることにしたり、ネットを張ったりしたが、それでも食べられる。

『芽を全部食べたら、一番楽しみの秋の実が食べられなくなるんだよ。全部食べないで半分は残しておきなさい』」と姿を見せた鹿に話しかけたのが、(食害を減らすのに)一番効果があったな~」と笑顔で話す末国さんの山づくりは性格そのままに開放的で大らかである。

うれしい「森への感謝」への行動の広がり

山仕事で汗をかき、おにぎりを頬張りながら、眺める豊かな自然の移り変わりが何よりの楽しみだとうれしそうに話す。東京から年に8、9回帰省し、山の再生に精を出す末国さんの懸命な姿を最初は遠巻きに見ていた村の人々も一人、また一人と次第に協力してくれるようになった。

手伝ってくれる村の人々に声をかけて始めた5月と8月の植林イベントも年々参加者が増え、昨年は子供連れを含む60人を超える参加者となった。
本業の節水の代理店になった経営者の人々も一緒に植林作業をしたいという人が増え、「森への感謝」「森への恩返し」への行動が広がり始めたことに「心底うれしい」と末国さんは頬をゆるめる。

5年ほど前からは植林に来てくれた人の想いをなんとか山に残し、次に訪れる楽しみを作ってあげたいとの思いから、名前を書いてもらったプレートを植林した一本一本にさげるようにした。コツコツ続けてきた植林も昨年までに3000本を超えた。次の目標は、「いつになるかわかりませんが、まずは2万本を目指していきます。関わった人々が親しみ楽しめる森にしていきたい」。

末国さん、そして村の人々の山での活動は、村の外にまで聞こえるようになり、学識経験者も参加して、粟倉村の村有林を活性化させるプロジェクトまで立ち上がった。大手企業の支援も決まり、当面は針葉樹の商品開発や販路拡大を図りながら、雑木5割復活に向けた取り組みが始まっている。これからの取り組みについて訊ねると、笑顔で答えた末国さんの言葉がふるっていた

「恩返しは、まだ、始まったばかりです」