2008年5月25日
シリーズ「この人」上地宏保さん・上地木材(株)社長、愛知県木材組合連合会長
(うえち・ひろやす)慶応大学、ワシントン大学卒業後、大阪の浅野木材で修業してから上地木材に昭和41年入社。平成12年林野庁長官感謝状、同13年黄綬褒章。
「間違っていると見逃せないのでついズケズケ注意してしまう」と笑いながら言う正直さと誰にでも公平に対応する人柄の上地宏保氏(上地木材(株)社長、愛知県木材組合連合会長、70歳)が、春の叙勲で旭日小綬章の栄に浴した。上地氏は、愛知県のリーダーとして11年にわたり、バブル崩壊後の大変な時代に要職を数多く遂行してきた。「平成10年に名古屋木材組合、県木連の長になってすぐに後継者を誰にするかと辞める時を考えた」そうだが、いろいろなことが起こりその後任人事は鈴木和雄氏(東海木材相互市場社長、名古屋木材組合長)が引き継いでいる。会社では代表権のある専務で長男の浩之氏(37歳)と次男の基之常務が社業を支えている。
「人事は全てめぐり合わせ」―上地氏
平成10年5月の総会で愛知県木連会長と名古屋木材組合長の重責を同時に引き受けることになった上地氏はその時のことを述懐して「そんなつもりは全くなかった。すべて偶然の出来事だった」と言う。
服部栄三氏から受け継いだのだが、上地氏の前にリーダーになるべき人がいたがその人が病気に倒れ上地氏に回ってきた。また上地氏の後継者として就任後にその意向を伝えていた人は引き継げなくなり、結局鈴木和雄氏に回ってきた。そうした紆余曲折があったために、上地氏は11年にわたる重責を担った。
名古屋木材組合長は同18年に、同県木連会長はこの5月総会で鈴木和雄氏にバトンタッチする。だがまだ同木材協同組合連合会会長、中部納材協同組合や名古屋商工会議所木材部会長などの役職は残る。
バブル崩壊後の11年重責まっとう
「長を引き受けた当時の名古屋木材組合員は522名、それが現在は300名、実に40%減少した」というバブル崩壊後の長い苦しい時代に公職を11年間まっとうしたことについて上地氏は「こんな時代に普通なら公職をやっておれないが、社員や家族が支えてくれたおかげ」と振り返る。
大きな行事では平成14年の全国木材産業振興大会の名古屋での開催、同県木連創立50周年行事を同16年に行った。また、愛知県木材厚生年金基金の解散も大変な作業だった。
こうした行事を持ち前の正直さと公平さによる多くの業界人の支援で乗り切ってきた。
座右の銘は「正直であれ」。人が見ていなくても天は見ている、との生き方である。悪口は、その人に直接言うが陰では言わない。褒めるのは、逆に陰で言う。結局その人のためになるようにするのである。
2人の子息社業支え
昭和60年に上地木材前社長で元同県木連会長の上地武氏の死後受け継ぎ社長に就任したのが43歳の時であり、「もう23年になる」(上地氏)。
会社では2人の子息が社業を支えており、長男の浩之氏は代表取締役専務、次男の基之氏は常務取締役として今後の上地木材を引き継ぐ。家庭にあっては、奥さんの「かほるさん」と長男浩之氏夫婦と孫の5人家族に恵まれている。
忙しい合間をぬって趣味のゴルフと囲碁を楽しんでいる。カラオケのレパートリーも豊富である。